【平成生まれホイホイ】教科書 小学国語 考察 前編「やまなし」

【平成生まれホイホイ】教科書 小学国語 考察 前編「やまなし」

友達と小学、中学、高校何してたんだろーとか戻るとどうなるんだろーとかそんなベタな話をしていた時のこと


「もっと勉強したかったかも。小学のクラス、中学校受験の人多くて、、、」

「小学って何勉強してだろー?」

「国語とかちょっと話覚えてるかも、、、クラムボンってなかった!?」

クラムボン!?」

「wwwwwwww」

「あったなー、笑ったよってやつでしょ」

「えっ覚えてない?」

「教科書違う説?」


はい、持ち帰り案件ですwww

僕は多分宮澤賢治、やまなしだと思ったけど、自信がなく喉から先へは出なかったし、ここで回答っすね。

国語教科書情報を検索しましたよ。

自分が使ってたやつヒットしました!!





光村図書、平成12年度版(平成12〜平成13年使用) 6年下巻

URL: https://www.mitsumura-tosho.co.jp/chronicle/shogaku/h12/6nen.html



上部で思った通り宮澤賢治の作品で長い間教科書に載っており、教えられる側、教える側の両者にとって難しい作品のひとつとされていますね。

一読すると8割、いや9割の生徒が「クラムボンってなに?」ってなるはずで僕もそう思った記憶しかない。

そう、記憶にないのでまっさらの状態で読んでみた、、、

まずは言いたい。

これ教えるのクッソむずいって、世の中の国語の先生に脱帽ですよ。ほんとに。

そうも言ってられないので改めて読んでの考えをまとめてみます。



二章構成

五月、十二月の話をする二章構成であるので、二つの章それぞれ考えたことからまとめていきたいと思います。


五月の章

登場人物数は6である

  • かにの子供(兄)
  • かにの子供(弟)
  • クラムボン
  • かに(父)
  • かわせみ



子供らのはじめの会話はクラムボンについてである

「クラムボンは笑っていた」

「なぜ笑ったのか」

「知らない」

上記の会話後、魚がかに達の頭上を通過したら

「クラムボンは死んだよ」

「クラムボンは殺されたよ」

「なぜ殺されたのか」

「分からない」

そして、魚が下の方へ行ったら

「クラムボンは笑った」



子供らの話題は魚のことについてに変わる

魚はなぜ行ったり来たりしてるのか

「何か悪いことをしている。取っている」

「取っているの」

「うん」

すぐ後に魚は

”お口を輪のように円くしてやってきた”



子供らは全体的に青いもので黒くとがった先っぽを見た瞬間、魚が消えたのを見て、怖がった



父がやってきて、青いものはかわせみだと断定した。また、子供達の恐怖を取り除いた。

①においてクラムボンは魚が通ると殺されてしまうことと②で魚は”取っている”と見えること、また、口を開けてもどってくることからクラムボンは魚にとって食物にあたることが考えられる。

また、③と④ではかわせみが来たら魚はいなくなり、子供たちが怖がることから魚はかわせみにとって食物にあたることが考えられる。

よって、かわせみ > 魚 > クラムボンの食物連鎖を表していると思われる。

水底にいる場合、この連鎖に含まれないかに達がそれを見て学んでいるように思った。

ここで、クラムボンについてだが諸説あり読者に解釈を委ねており、教科書の注釈もブレているとのことである。

現在では「作者が作った言葉。意味はよくわからない。」と注釈されているそう。

ちなみに、時期なんてもう覚えてないが食物連鎖は小学6年の理科で取り扱うそう、色々関連してる気がするね。


十二月の章

登場人物数は4である

  • かにの子供(兄)
  • かにの子供(弟)
  • かに(父)
  • やまなし


登場人物数は4であるとある夜、かにの兄弟は自分たちがはける泡の大きさを競っていた

弟がガチで兄より大きい泡をはけると言い張り、少々喧嘩っぽく描かれてる。

父が早く寝るよう注意しにきて、兄の方が大きいだろっと言ったことで弟は泣きそうになった。



水面(天井)からドブンという音ともに光って子供達はかわせみと思い、ハッとした

父が良く見た結果、かわせみではなくやまなしだった。かに達は流れるやまなしを追いかけた。



やまなしの美味しそうな匂いや食べれそうなことから安堵し、帰ってその日の眠りにつく。

①付近の文中にもあるがかにの子供らの成長が感じられる。そして、②と③で五月に見たかわせみに対してやはり恐怖の感情を持っており、共に覚えた恐怖によって喧嘩が終わるのではなく、やまなしの存在によって安堵で終わる温かい話になった印象を持つ。

また、多くの生徒が疑問をもつ、やまなしはイワテヤマナシで実は小さく酸味が強く、やはりいい匂いが特徴。今では絶滅危惧種であるため狙っていかないと見ることはできない。しかし、いずれにせよやまなしの存在がキーポイントになるだろう。



考えのまとめ

五月、かわせみと十二月、やまなしはそれぞれ対比の関係にあると考える。

五月は青々とした時期でかわせみという美しい生き物も活動している。一方、十二月は寒く生き物は活動しない。その静けさとやまなしの実がなって落ちる時期。

二枚の幻灯という言葉がこのような対比を表してるのではないかと考える。

更にかわせみは捕食する側でやまなし捕食される側。

食物連鎖に関連して言えるのが、

かわせみ >   魚 > クラムボン

      かに  > やまなし

かにがかわせみに恐怖を抱くことから魚とかにが並列であり、かわせみ、魚、クラムボンを第三者の視点で見ていることから別の連鎖であると仮定するとかわせみとやまなしは反対を表現してると言えるだろう。

やまなしがかに達を安堵させた。これはある種の幸福をもたらしたことと言えると思う。このことからこの作品はかわせみではなくやまなしなのだと思いたい。

最後に、書いていて思い出したがこの作品を学習している際、比喩表現を教えてもらったなと。人が一切出てこないのに人のように描かれる面白さがある。また、最後を締めくくる「波は、いよいよ青白いほのおをゆらゆらとあげました。それはまた、金剛石の粉をはいているようでした」幻想的な文で読んで懐かしくなった。



いかがでしたか。

少しは自身の小学時代を思い出して懐かしむことができる内容になったかなと思ってます。第二弾もあるのでまた読んでやってください。



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